オフィシャルブログ

「日本のシンドラー」杉原千畝さんをご存知ですか?(再投稿)

Share on Facebook
LINEで送る

  ビザ

「日本のシンドラー」と称される杉原千畝さんをご存知ですか?

第二次世界大戦時、リトアニア大使館に就任していた日本の外交官です。

当時の大日本帝国の外務省からの命令にに反してまでも、

日本を通過して他国へ避難するビザ(通過査証)を大量発行し、

6,000人にのぼる避難民(本当はもっと多かったそうです) を助けたことで知られる

日本国民を代表する偉人です。

「日本のシンドラー」杉原千畝さんについては多く語らずとしても、

去る、2015年4月14日、北浦和浦高通り「しちりん炙ABU」に、

岐阜県加茂郡八百津町にあります「杉原千畝記念館」の 國枝館長様と、

獨協大学職員・OB等々がご来店くださいました。

國枝館長様から「あ~、それはよかった」「そんなむごいことがあったんですか」 と、

とても興味深い史実を聴かせていただきました。

至極、充実したひと時を過ごさせていただきました。

写真は、杉原千畝記念館長の 國枝様にいただいた、

杉原千畝さんが手書きで書かれた貴重な「命の査証(ビザ)」です。。。

現物を持ち出すことは決してできないので、 そのコピーをいただきまして、

今も当店に保存してあります。

実は、以前、店主のブログでご紹介させていたしましたが、

ある理由で自主削除させていただきました。

当店において、世界遺産登録の申請準備のため、貸切で密談が行われましたが、

そのブログが「杉原千畝 獨協大学」(またはその逆)で検索すると、なんと・・・

第一位で「しちりん炙ABU」のブログがヒットしてしまう結果になってしまいました。

秘密裡で世界遺産登録の申請準備をされていた獨協大学や関係各所に

ご迷惑をおかけする事態に発展しましたので、 削除させていただきました。

今でも検索10位ほどにその名残が残っています。

店主の母校でもある獨協大学外国語学部、ドイツ語学科及びフランス語学科の教授陣が

杉原千畝さんが発行された「命の査証(ビザ)」を翻訳、解析し

様々な事実を発見し、世界遺産登録の申請を承認されたに至ったわけです。

当時のパスポートに記載する査証は手書きが多く、

ネイティブにしか読み解くことができないのです。

個々人、一人一人の避難民が、どういう経緯で避難できたかは、

そのパスポートの査証を解析するしかないのですが、

ドイツ語やフランス語の筆記体で書かれた査証を読み解き明かすことは難しく、

様々な研究機関をはじめ、今まで明らかにされてはいなかったのですが・・・、

獨協大学外国語学部教授陣が、それをすべて翻訳し、

時系列的にその避難経路や諸事実をはっきりとさせたわけです。

天晴!語学の獨協!OB・OGは誇りに思ってくださいね。

(あっ!またしゃべりすぎてDUからクレームきちゃったりして・・・(笑))

さて、11月21日(土)獨協大学天野貞祐記念館で、報告会が行われます。

東武東上線、今はスカイツリー線というのでしょうか松原団地駅下車

詳しくはしちりん炙ABU店内にポスター貼ってます。

お時間があれば足を運んではいかがでしょうか。もちろん入場無料です。

そのあとは、しちりん炙ABUに寄ってくださいね!